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「かいほこ」の歴史

海鉾家は、15世紀に、いまの山形県天童市にある 水晶山という水晶が採れる山を監視する命をうけて 派遣されたことにはじまる、といわれています。
海鋒と表記するのは、この海鉾家の一部の分家にあたります。

▲ 天童市川原子から望む 水晶山


この「海鉾」の由来の一説に次のような話があります:

山形県天童市に海鉾・海鋒家がたくさん集まっている川原子地区の川向こうに、谷地中(やちなか)というところがあり、さらにその小字(あざ)名に「貝吹道(かいふきどう)」という地名があります。
ここはちょうど、水晶山のふもとにあたります.この山の頂上には、もともと日本武尊(やまとたけるのみこと)が創建されたと言われる大和神社があったそうですが、のちの大宝2年(702年)には、役ノ小角(えんのおづぬ)という奈良時代の僧が 蔵王権現を拝して開山したと伝えられています。
この水晶山に ふもとから向かう山伏たちは法螺貝(ほらがい)を吹きながら登り、そこから、その道を「貝吹道」と呼ぶようになったと言われています。
その、水晶山を監視する命を受けた海鉾の祖先は、この「貝吹道」を守ることとなり、その「かいふき」から、「かいほこ」なったという話です。

こうした歴史的な話は、谷地中の曹洞宗 常楽寺に伝えられているそうで、文政11年(1828年)に 海鉾治郎七と治吉という人が水晶山に奉納した蔵王権現像が祭られている、ともされています。

 



「かいほこ」の いま
全国のかいほこ家は、あわせて200軒ちかくあり、その多くが山形県内のご家族です。遠く海外に住むかいほこさんもいらっしゃいます。
名字の漢字は「海鉾」「海鋒」が、ほぼ半数づつですが、いっぽうで、「かいほう」「うみほこ」などと読む方もいらっしゃるようです。

(1990年後半の まだ電話帳に各家庭の記載があったころの調査結果をもとにしています)

家紋は、天童市川原子地区では「丸に日の丸扇」です。
これは、水戸藩から派遣されたといわれている秋田 佐竹家の家紋と同じです。

 


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